小樽にあった日本銀行の支店 かつて北海道経済の中心は小樽だった?
- 2017/2/25
- 北海道, 小樽市, 観光スポット
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小樽にあった日本銀行の支店
なぜ、小樽に日本銀行の支店があったのでしょうか。
現在の小樽の町のイメージは運河を中心とした観光都市です。
しかし、明治から戦前までの小樽は北海道の経済の中心だったようです。
現在、北海道の中心は札幌です。
※Google 検索より
北海道の人口の3割弱ぐらいが札幌に集中しています。
数字だけみるとそんなに集中している? と思われるかもしれませんが、北海道の人口約537万人の内、札幌市が約195万人。
小樽は約12万人です。
函館でも約26万人なのです。
北海道は日本で最も人口密度が低いので、北海道の中では人口が集中しているのです。
商業施設も札幌、特に札幌駅から大通りやすすきの付近に集中しています。
北海道庁をはじめ、北海道の官公庁等政治、経済の中心も札幌になっています。
しかし、それは現在のことで、かつての北海道の中心は本州に近い函館や北海道ではじめて鉄道が整備された小樽だったのです。
本題に戻ります。
小樽になぜ北海道の経済の中心として日本銀行の支店が置かれていたのか?
小樽が経済の中心となった理由はいくつかありますが、まず一つはニシン漁が盛んであったということがあります。
ニシンはご存知の通り魚なのですが、魚としての価値よりも当時は畑の肥料の鰊糟として活用されていたそうです。
ニシン漁で富を得た網元が建築をした、にしん御殿といわれる建物が現在も残っています。
一般公開されている「青山別邸」の建築費は三十一万円。
当時、新宿の有名デパートの建築費が五十万円だったそうですから驚きの豪華な建物です。
建物だけではなく、螺鈿(らでん)の調度品など小樽の町がどれ程経済的に豊かだったのか垣間見ることができます。
もう一つの発展理由は1880年(明治13年)札幌~小樽間で北海道初の鉄道が開業したことです。
三笠など内陸部の産炭地から炭鉱から採れた石炭を本州へ積み出すための海の玄関口として発展していきます。
エネルギーの主流が石油に変わるまで、石炭は黒いダイヤと呼ばれる程価値のあるものでした。
もちろん、鉄道の蒸気機関車の動力源も石炭です。日本産業の動力にも石炭が利用されていました。
1900年前後、物流を中心に経済発展する小樽市に各銀行が集中し、「北のウォール街」と呼ばれるようになったそうです。
小樽に人とお金が集まっているのですから、本州との商売、商談をするうえで当然お金の出入りが活発になります。
その状況の中で日本銀行も1912年に小樽市に支店竣工します。
こちらの建築費は当時40万円ぐらいで日本銀行の本店と日本銀行大阪支店に次ぐ三番目に高額な建物だそうです。
別ブログで掲載予定ですが、北のウォール街と呼ばれた銀行街の中で「日本銀行」としての威厳を保つためにも立派な建築にしたのでしょうか。
日本銀行としての役割は終えましたが、金融資料館として現在も小樽の町を見守っています。
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