小樽「運河を守った」市民運動

1973年に小樽で、ある市民運動が起こった


小樽で起こった市民運動。
それは、小樽運河と歴史的建造物の保護に関わる運動でした。
小樽に詳しい方や北海道に住んでいる方はリアルタイムでご存知かもしれません。
最近(?)の出来事なので詳細な情報がたくさんあります。
ここでは簡単にまとめますね。

小樽は海運で栄え、荷揚げの便宜(べんぎ)を図って、埋め立て方式で小樽運河を作りました。
しかし、昭和40年代には船を使った物流も減り小樽運河自体も活用されていませんでした。
実際に運河はゴミなどで汚れ、異臭がしたり人通りも少ない状態だったそうです。
小樽出身の知人がよく話していました。

1966年 昭和41年の頃

小樽の交通量も増えたので、小樽運河を埋め立て古い倉庫を壊して6車線の道路を作ろうという提案がありました。
一部の政済界の方や小樽市民も反対の意見を表明します。
開発なのか、歴史的遺産の保護なのか。
次第に小樽市民中心の反対運動となり、最終的には運河の片側だけ埋め立て、運河沿いの歩道や周辺整備を整えました。
同時に歴史的建造物の保護の動きも高まり現在に至っています。

この小樽運河の存続に関わる市民運動は「小樽運河を守る会」が発足した1973(昭和48)年か1984(昭和59)年ぐらいまで10年以上続きました。
特に、1983(昭和58)年は「小樽運河百人委員会」が結成され、約10万人の運河保存の署名が集まるなど保存活動が盛り上がり、運河保存の気運が高まりました。

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小樽「雪あかりの路」のガイドさんは小樽案内人検定一級という資格を持っている小樽に詳しい方からのお話でした

この方が、小樽運河の保護に関わる一連の市民運動は日本初なのではないか、と言っていました。
それまでも日本国内で市民運動はあったかもしれませんが、こんなに行政や地域を巻き込み、その後の地域の在り方を変えてしまうほどの市民運動は小樽のケースが初めてではないか、と言っていました。
日本初なのかについては調べてもわかりませんでしたが、小樽運河が残ったからこそ現在の小樽が国際的な観光都市として反映していることは間違いありません。

現在、小樽運河はボランティアの方が定期的に清掃活動をして美観を保っています。

一人の行動はささやかでも、みんなが集まれば奇跡を起こせる。そんな素敵な歴史がある小樽です。

 

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